二人目の妊娠・出産体験記 まさかの妊娠から里帰り出産まで

妊娠・出産・育児

二人目の妊娠は生理再開前

着床出血で妊娠に気が付いた

一人目を出産してから半年後のある日、少量の出血がありました。
とうとう生理が再開したんだと思い、普通にナプキンを当てていました。

ところが、経血量が少なく、おりものに血が混ざっている程度の量しかありません。
それが3日ほど続き、終わってしまいました。

その時、着床出血という言葉を思い出し、まさかと思いながら妊娠検査薬で検査したところ、何と陽性反応が!
これには本当にびっくりしました。
夫に報告したら、ええっ!?と、やはり驚いた様子。
いずれは二人目が欲しいとは思っていましたが、まさかこんなに早くできるなんて思いませんでした。

つわりがないけど貧血に

一人目の世話に追われているせいもあるのでしょうが、今度はつわりもほとんどなく、妊娠していることを忘れてしまいそうな程、二人目の妊娠はいたって順調でした。

ただ、妊娠後期(8ヶ月)に入った頃、やたら息が切れて疲れやすくなったのは貧血が原因で、しばらく鉄剤を飲んでいました。

まさかの逆子

同じく8ヶ月の頃、おなかの子の頭が下ではなく、横向きになっていることが判明!
このままだと産むときに大変だからと、おなかをマッサージしたりしました。

マッサージの効果なのか、臨月にはちゃんと頭が下に向いていました。

上の子を置いての里帰り出産

遅すぎる里帰りに叱られる

二人目も里帰り出産することになり、上の子は義母に預け、私一人で里帰りしました。

と言っても、本当にギリギリまで自宅にいて、出産予定日の約半月前にようやく帰りました。
自宅近所の産婦人科の先生にも、里帰り先の看護婦さんや助産婦さんにも、
経産婦なんだから、もっと早く帰らなきゃダメ!と叱られました。

本当はせめて予定日の1ヶ前には帰らなくてはならなかったのですが、自宅から実家までが車で1時間~1時間半と中途半端に近かったのもありましたし、上の子の面倒をギリギリまで見なければならないのもありました。

9ヶ月からの検診は、義母が里帰り先の産婦人科まで連れて行ってくれました。

そんなことをするくらいなら、上の子と一緒にもっと早く里帰りすればいいようなものですが、私の母がパートで働いていたので、負担をかけられないからと、許可してもらえませんでした。

姑と嫁の考え方の違い

母は働いていましたが、父はもう定年退職していましたし、実の娘と孫が来るのですから、私の両親にしてみれば、負担どころか大歓迎だったのですが、義母にしてみれば、私はもう娘ではなく嫁だから、ということなんでしょう。

本当は、こんな時くらいしかゆっくり里帰りなんて出来ないのですから、許可して欲しかったのですが。

産後、母に代わって父が私の食事や洗濯などの世話を喜んでしてくれました。

上の子は義母になついていましたので、預けることに不安はありませんでした。
しかし、夫や義母が上の子と離れたくない気持ちが強く、それで許可しなかったのもあるのかもと思うと、正直いきどおりを感じずにはいられませんでした。

期間限定の里帰り出産

ちなみに里帰り出来る期間は、出産してからではなく、帰った日から1ヶ月と言われました。
帰ってすぐに産気付けば、退院後も実家でゆっくりできますが、もし帰ってから半月も経って産気付いたとしたら、退院してすぐに自宅に帰らなければなりません。

どんな考えでこんな期間を言ってきたのか理解に苦しみましたが、こうなったら、一日も早く陣痛が来るのを願うしかありません。

この時、将来上の子が結婚したら、お嫁さんにこんな思いは絶対にさせない!と心に誓いました。
子供を連れてゆっくり帰っておいで、と言ってあげたいと思います。

待ち望んでいた陣痛が来た!

経産婦(お産経験のある妊婦)は産気付くのも分娩も早いとは聞いていましたが、本当に早いです。

陣痛が来たのは、出産予定日より12日も前。
事前に早くなるだろうと言われていたので、驚きはしませんでしたが、陣痛がわかるかどうか不安で仕方ありませんでした。

一人目の陣痛は、陣痛促進剤を使って起こしたので、自然に起こる陣痛を経験しておらず、前駆陣痛と区別できるか心配だったのです。

しかし、すぐわかりました!
前駆陣痛とは違う、ズンッとした重い痛みです。
前駆陣痛はもっと鋭い痛みです。

父と二人で近くのスーパーに買い物に行っていたときのことで、丁度午後1時ごろでした。
ズンッと重い張りのような痛みのような感覚がおなかを襲いました。

すぐに陣痛だ!とわかりました。

父に「陣痛来たみたい」と告げると、「そうか」と言葉少ない返答。
急いで買い物を済ませ、一端実家に戻りました。

実家に戻り、陣痛の間隔を計ると、約15分置き。
経産婦なので、この時点で一応産婦人科に連絡しておくことにしました。

連絡したら、もう入院しておいた方がいいだろうとのこと。
入院グッズを持って、早速産婦人科に向かうことになりました。

実家から産婦人科までの時間は約15分。
その間に陣痛が来たのは1回だったか2回だったか忘れてしまいましたが、予定よりも早い出産に向けて心の準備をしていました。

陣痛は治まったものの、そのまま入院に

安心してしまったのでしょうか。
産婦人科に着いてから陣痛が治まってしまいました。
しかし、このまま入院した方がいいだろうということになり、私だけ医院に残り、両親は一端帰宅することになりました。

この日は日曜日ということもあり、私以外に分娩予定の妊婦さんもいないらしく、医院内は静かでした。

まず、入院する部屋に案内され、そこでしばらく待機することに。

しばらくしてから陣痛が復活し、その後剃毛、浣腸し、すぐに分娩室に入りました。
まだ、大した陣痛ではなかったのですが、誰もいないので、さっさと分娩台に乗りました。

徐々に陣痛は強くなって行きましたが、上の子のときに比べたら全然平気です。
苦しいとかつらいとか思うことはありませんでした。
陣痛が治まっている間は、看護婦さんと世間話をしながら子宮口が全開になるのを待っていました。

二人目の余裕なのか、お産の進みが早いからなのか、陣痛で汗をかいたり喉がかわいたりすることもなく、本当に信じられないくらい楽でした。

こんなに楽でいいの?
と思うくらい、辛さを感じない今回のお産。

でも、助産婦さんの一言で改めて決心をしました。

「分娩になったら、こんなもんじゃない陣痛が来るからね」

余りにも楽で、忘れていたあの陣痛。

そういえば、母親学級の時に保健婦さんが言っていました。

「お産の苦しみは、産んでしまえば忘れてしまうもの」

忘れるからまた次に産もうと思えるそうなんですが、たった1年ちょっと前のことなのに、私もあの苦しみをもう忘れかけていました。

忘れていた陣痛再び!

いよいよ子宮口が全開になり、本格的な分娩が始まりました。

あの言葉では言い表せない苦しくて辛い陣痛が襲ってきました。
今まで感じていた陣痛なんて陣痛とは言えないと思えるほど、強い痛みです。

でも、二人目はお産の進みが早く、子宮口全開大になるまでの時間が早かったので、精神的にも肉体的にもかなり余裕がありました。

時間にして15分くらいでしょうか。
呼吸をする度におなかの子が産道をおりてきて、ほとんどいきむこともなく、本当にスルッと出てくるとはこのことかと思えるほど、楽なお産でした。

余りに私に余裕があるからなのか、助産婦さんに「赤ちゃんを自分で取り上げてみますか?」と言われました。
「えっ?そんなことできるの?」と思いましたが、助産婦さんに言われるまま、赤ちゃんの頭が出てきたら私の手を赤ちゃんの脇に入れて、そのまま自分のおなかに向かって引っ張り出しました。

まさか自分の手で自分の子を取り上げることができるなんて思っていなかったので、思いがけないサプライズでした。

産後から退院までの様子

産後初日-経産婦の余裕!

二人目の子も産後すぐに胸に乗せ、乳首を吸わせました。
最初の子のときより乳首の状態が良かったのでしょう、上手に吸い付いていました。

最初の子のときと違うのは、経産婦ならではの余裕でしょうか。
産後、興奮することもなく、普通に食事を取り、ぐっすり眠ることができました。

産後1日目

翌日、母乳育児開始です。
当然ながら、まだ母乳は出ません。

ただ乳首を吸わせるだけの授乳ですが、今度は柔らかく伸びの良い乳首なので、赤ちゃんも吸い付きやすいようです。まだ出ないお乳でも、一生懸命吸い付いていました。
上の子が頑張って吸ってくれたおかげでです。

最初の子のときは、会陰切開したため、産後は座るのも痛くて大変でしたが、今度は切らずに産むことができ、その痛みがないだけでも、かなり楽に感じました。

産後2日目

2日目になっても、母乳が出る気配はありません。
ただ乳首を吸わせるだけの授乳が続きます。

産後3日目

3日目になっても、まだ母乳が出る気配はありません。
以外なようですが、初産婦より経産婦の方が、母乳が出始めるのが遅いのです。

そのことを事前に聞いていたので、気にせずどんどん吸わせていました。

今度の赤ちゃんは最初からおっぱいを吸うのが上手で、吸う力も強いのですが、それが災いしたのか、乳頭の先が少し切れてしまったのです。

これが痛い!
だけど、今まで散々痛い思いをしてきたので、このくらいは大丈夫と、痛いのをガマンしながら、吸わせていました。

そうしたら、赤ちゃんがピタッと吸うのをやめてしまったのです。

「血の味がするから、吸わないのかな?」
と助産婦さんに言ったら、
「まだ母乳が出ないからじゃないかな?」
と言われました。

赤ちゃんにしてみれば、それこそ乳頭が切れるほど一生懸命吸ったのに、ちっとも出ないおっぱいがイヤになってきていたようです。

そんな赤ちゃんをなだめながら、その内出るようになるさ、と気楽に思いながら、授乳を続けました。

余談ですが、乳頭が切れて痛いと、赤ちゃんに吸わせるのも恐怖になってしまいますが、薬を塗るより吸ってもらった方が傷の治りは早いですよ。

産後4日目-ようやく母乳が出始める

4日目、ようやくおっぱいが張り出しました。
さあ、これでいよいよ母乳を飲ませてあげられる!と思った矢先のことでした。

産後5日目-保育器に入ることに

5日目のことです。
「黄疸が強いので、1日保育器に入れて治療をしましょう」
と言われたのです。

ようやくおっぱいが張り出して、これから飲ませてあげられると思っていたのに、出来なくなってしまいました。

新生児黄疸は、丸1日保育器の中で全身に紫外線を浴びせて治療します。
その間、保育器から出すことができないので、直接母乳をあげることができないのです。

仕方がないので、さく乳して与えることになりました。
出始めたら、最初の子のときよりも出が良く、さく乳だけで30㏄近くしぼれたのを覚えています。

オムツ以外は何も身に着けない裸のまま、青白い光線が射す保育器の中で、紫外線にやられないために、両目に眼帯を貼られている我が子。
その姿を初めて目の当たりにしたときは、思わず涙がこぼれました。

約3時間おきに搾乳し、それにプラスしてミルクを与えていました。
この治療のときは、たくさん水分を摂らせなくてはならないため、通常ならミルクは足さないのですが、例外として飲ませていました。
経産婦のお母さんは通常5日で退院なのですが、黄疸治療のため1日伸ばすことにしました。

治療が終わり、1日ぶりの授乳に感動!

6日目の午後、ようやく保育器からで出て来た赤ちゃんに、1日ぶりにおっぱいを飲ませました。
この時ほど、おっぱいを飲んでもらえる幸せを実感したことはありません。

しかし、気になることが一つ。
赤ちゃんの顔の目の周りに赤い湿疹がポツポツと出来ていたのです。
そのことを看護婦さんに言ったら、
「治療中に目に貼っていた眼帯のせいかもね」
とのことだったので、しばらく様子をみることにしました。

そして、退院。
今回も里帰りしていたので、しばらく実家での生活です。

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